認知症日記-22/57[2018/9/上旬-2] 早くも2度目の認定調査、警察に行った?介護サービスを検討
★事実を正確に伝える為には本来ならば総てあからさまに書きたいところであるが、お世話になった介護関係者の方々や近隣の方々の個人情報の問題もあるので固有名詞は架空のものにせざるを得ない箇所があることを最初にお断りしておきます。
1. 「区変」で早くも2度目の認定調査
7/27 アルツハイマー型認知症と診断され、
同日、介護認定調査申請
後日、主治医の診断書作成依頼
8/中旬 認定調査日の調整
8/下旬 認定調査
9/上旬 介護認定調査会
9/上旬 要介護度通知
と1ヶ月半近くかかっての受け取った通知が「要支援1」という信じられない判定が出、
ケアマネージャーさんと相談して「区分変更申請」=「区変」をすることにした経緯は前回書いた通り。
介護度は有効期限が1年間。
毎年期限内に翌年分の「介護認定調査申請」をしなくてはならない。
しかし、1年間の期間中「いつでも」「区分変更申請」=「区変」が可能だという。
本来は1年という長い期間の間、当然症状が悪化したりすることがあるので、速やかにより適正な介護サービスを受けられるように「区分変更申請」=「区変」するのが主旨だという。
よくあることなのだろう。
症状が重くなれば適正な介護度がないと適正な介護サービスを受ける「点数」が不足してしまう。
つまりは、それは悲しいかな、「症状が重くなってしまった」からという理由で介護度を上げてもらう目的が主なのだと思う。
認知症は完治しない、
認知症が良くなることはない、
認知症の症状を遅らせることしかできない、
現在の認知症医療の状況では「悪化」しかないからだ。
ところが、私が今回ケアマネージャーさんと選択した「区変」は、
そもそも判定された介護度に不服があるからだった。
前回も書いたように、不服の場合「審査請求」をかけることができる、とされているらしいが、現実は
「半年かかって、不服な介護度を取り消してもらう」
ことでしかないのだという。
で?
取り消してもらって、その後は?
取り消されたら介護認定度を持っていない状態なのだから、
結局、介護認定調査申請からやり直しということだという。
それなら半年、単に「正当性」をかけて審理してもらうだけのことで、
それを患者本人が争いたいのならいざ知らず、
本人は「何のこと?」という状態では、
家族がカリカリして、ただ半年間をやり過ごすことにしかならない。
気持ちとしては「要支援1」なんて、どこに目つけてんだ?
取り消してくれよ。
なのだが、それの為だけに半年をかけても、
母の認知症は進むか、せいぜい留まるか。だけである。
方便として認める気がない「要支援1」からの
「区分変更申請」=「区変」という形をとることになった。
ということだ。
結局、
介護認定調査申請
主治医の診断書作成依頼
認定調査日の調整
認定調査
介護認定調査会
要介護度通知
という1ヶ月のサイクルはやり直しをしなくてはならない。
それでも「審理請求」を選択すると、それが半年先からのことになってしまう。
その半年の間にどんどん症状が進んだらどうすんねん!
ケアマネージャーさんはすぐに「区分変更申請」=「区変」をしてくれたし、
医師にも主治医の診断書作成依頼がまたあると思いますのでよろしく、
と頼むことも終えた。
役所の事情、
認定調査員の判断する目、
介護認定調査会の実態、
そんなことは我々に関係ない。
現実にアルツハイマーと診断された母がおり、
素人目にも以前と様子が違ってきている。
●出来ていないことを出来ていると言い張る(思い込んでいる?)
●ほんのすこし前の会話を全部すっぽり忘れている
●以前なら一緒に病院へ着きそうことを感謝感謝な筈の母が、
「余計なことを」と怒りだす
●健常ならば毎週1〜3日平日昼間、休日問わず実家に来る息子に
「こんなに会社休んで大丈夫なの?」と問うた筈がそういう言葉が出ない
帰宅し、会ったばかりの母の言動をメモする。
読み返せば、明らかな変容だった。
それでもまだ出来ることも多いのだった。
・会話すれば普通に喋る(呂律が以前より怪しくなったものの)
・自炊のための買い物には行っている
・自炊している
・掃除、洗濯はしている
・毎週月曜日の趣味の手芸の会には行っている
だから、何をどこまでやればいいのか、我々家族では判断する基準がわからないのだった。
。
2. 警察に行ったの!
「泥棒に入られたの」
え、また?
「また何か無くなったの?」
ついこの間、
「通帳、キャッシュカード、印鑑を盗まれた」と今年2度目のことを言い、
警察へ届け、通帳とカードの再発行を依頼している最中だった。
「これがあったのよ」
母が示したのは、横長のポストイットに書かれた文字だった。
「お支払いをよろしくお願いします」
ボールペンで書かれたらしき、男の文字だった。
署名も金額も何もなく、誰から幾ら請求されているのかも判然としない。
「これが何?」
「あたしが知らないうちに家に入っておいていったのよ」
どういうこと?
「何かの支払いがあるんじゃないの」
支払いをお願いします、という文面からどうして泥棒に結びつくのか?
「何もないわよ」
「それからこんなのもあったの」
母が隣の和室から持ってきたのは一本の水性ボールペンだった。
「ボールペンでしょ」
「あたしのじゃないもの。あたしはこんなの買わない」
「それで?」
「これも警察に届けたの」
母の言いたいことは、
泥棒?空き巣?が母の知らないうちに家に入り、
「お支払いをよろしくお願いします」とオレオレ詐欺のように金を催促し、
それを書いた「見慣れぬ」水性ボールペンを置き忘れていったのだ、と。
そしてそう判断した母は、その足で、
一片のポストイットと水性ボールペンを持って泥棒に入られた証拠として、
警察に届けたということだった。
「届けたんなら、なんでここにあるの?」
「受け取らなかったのよ」
そりゃそうだろう。
「もう一回聞くけど、なんか盗られたものはあるの?」
「それは、ない」
今や、警察も母を「また来たぞ」と思っているかもしれない。
少なくとも2回は銀行の通帳、カード、印鑑を「盗まれた」と申告しているから、たぶん調書を取ってくれ、1度目は刑事さんが来てくれた。
しかし3度目の今度は、
一片のポストイットと水性ボールペンを「見慣れない」からといって泥棒に入られた証拠として申し出たという。
しかし、警察は「証拠品」を受け取らなかった、と言う。
その後のやり取りで薄々わかったのが、
●何かの請求書の中に入っていたポストイット部分だけを別にしてしまい、
「見覚えがない」と思った
●水性ボールペンはどこにでも売っているもので、
おそらく私が持っていったものを置き忘れただけだろう
普通に考えれば分かりそうなことを誤解することだってあるだろう。
しかし、いきなり警察へ届ける、というその心理はどこから来るのか?
警察に証拠品の預かりを拒否されて、どいう風に思っただろう?
そもそも警察に行った、という言葉さえ本当なのかどうか怪しくなった。
近所の交番に行って確かめることも考えた。
今から思えば行って確かめるべきだったと思うが、まだついこの前まで健常だった母の「奇行」に戸惑うばかりで、
「うちの母が迷惑をかけていないか」とこちらから出向くことを逡巡した。
3. 介護サービスを検討
今は『要介護度認定区分変更』〜『区変』を申請中なので、現在の要介護度は「要支援1」のままである。
「要支援1」でも介護保険は使える。
点数は少ないが。
このまま再度の認定調査を終え、新たな介護度が出るまでの1ヶ月以上、何もしなくていいのか?
●認知症は完治しない
●認知症は必ず進行する
●認知症薬は進行を遅らせるだけ
ケアマネージャーさんと相談する。
警察へ行ったエピソードも話した。
「いつお会いできますか」
担当のケアマネージャーさんはとても熱心な方だった。
人間的に真面目で認知症患者への担当経験も長く、理解も深かった。
実際に母がいない部屋で個別に相談したり、電話で長々と相談したり、やがて事態と選択肢が複雑なので「メールでやり取りさせて欲しい」となり、頻繁にメールを送受信する日々となった。
こちらの事情、希望と提案される選択肢が複数あるので電話で言われても一度にメモを取りきれない。
聞き漏らしもある。
メールで貰えれば、それを家族に転送して相談が出来る。
「手尾さんとやり取りするようになってメールを打つスピードが速くなりました」と皮肉混じりに言われたが、基本的に平日勤務のケアマネージャーさんに土日にメールを送信し「返信頂くのは平日で構いません」としていても、土日中に返信を貰うこともあった。
とにかく、この頃からケアマネージャーさんとの連絡が頻繁になった時期だった。
基本的には「何かが起こって」ネットや本で読んで事前に予備知識を入れてから、ケアマネージャーさんに「こういうことがあったが、どうしたらいいのか」とまるでモグラ叩きのように、一つ一つ後処理、後対応になるので、気持ちの余裕もなく、多少予備知識を入れたとしても、現実の対応策についてはケアマネージャーさんからの「選択肢の提案」を貰うしかなかった。
「次の『区変』の結果が出るまで何もしなくていいのか?」
それがケアマネージャーさんに相談したい主題だった。
「何を一番、優先させたいですか?」
そう聞かれても答えられなかった。
しかし質問するだけじゃなく、ケアマネージャーさんは資料をいくつも持参してきてくれていた。
・高齢者用宅配食サービス
・介護サービスの種類や一覧
・近隣の介護施設の一覧
食事も、この頃何を食べているのか、冷蔵庫を確認するようになったが、基本的に
「昨日の夜何食べたの?」
「今晩は何を食べるの?」と聞いても、
「覚えてない」
「まだ決めてない」と意思の疎通がスムースでない上に、
たまに、
「今日は野菜たっぷりの焼きそば」
とか答えることがあっても、行ってみると野菜そのものが買ってなくて、
食パン、卵、インスタントラーメンの麺、といった金のない一人暮らし大学生の冷蔵庫みたいな状態だった。
大きくない冷凍庫には扉が閉まらないくらいパンパンに食材を詰め込んでいたが、異常に賞味期限が古い食材、賞味期限が読み取れない肉などがいつ行っても食べられた形跡がなかった。
しかし母に3食宅配してくれ栄養や献立の豊富さが考慮されているパンフレットを見せても「自分で作れるからいらない」とプライドが傷ついたように言う。
結局、家族として「どの介護サービスを希望するか」と問われても、
まだ買い物にも行け、入浴も出来、掃除、洗濯が出来ている(と思っていた)母にどのサービスが適正なのか答えられなかった。
そこで、「一度見学に行ってみませんか」と言われた。
私も毎日会社を休むわけにもいかず、行ったからには何か一つ前進させたい。
何かを決めたい、という気持ちがあっった。
母には何のことかわからないまま、外出着に着替えさせ、
車で10分くらい走った先のディ・サービスの施設へ見学に行った。
この日は見学なので私の車で行ったが、通うならば施設のスタッフさんが毎回送迎をしてくれるという。
入り口ではスタッフの方が笑顔で迎えてくれ、
案内された一階の食堂では昼食を終え、10人以上の高齢者の方々が歌を歌っている最中だった。
「ご一緒にどうですか?」
優しそうなスタッフさんから歌詞を手渡され受け取りはしたものの、
母は一緒に歌おうとはしなかった。
一階の奥へ移動する。
壁には立派な習字や絵画が飾られていた。
私は最初、目の保養、情緒安定のために良い書道作品や絵画が飾られているのかと思った。
「リハビリ・プログラムで皆さんが書かれたものです」
なんと、この施設の「利用者」さん=認知症の患者が書いたという。
その出来栄えには驚いた。
認知症を発症していても、個々人に元来の差があるだろうが、それは立派な中級から上級のレベルのものも少なくなかった。
この時、母の歩き方を見てケアマネージャーさんが、
「少し後ろ重心なので、ひょっとしたら低血糖かもしれませんね」
え、だった糖尿病一歩手前なんだから、高血糖のはずでは?
そう返すと、
「例えば、ですけれど、糖質を抑制するお薬をまとめて飲んでしまうと一気に血糖値が下がりすぎることはあるんですよね」
つまり、決められた朝食前、夕食前各一回ではなく、一度に2回分、あるいはさっき飲んだのに飲んだことを忘れて続けて2度飲んでしまったりすることで、血糖値を下げ過ぎてしまい、一時的に低血糖状態になる可能性がある、という説明だった。
「歩行が不安定なご様子なので、本当は杖を使って頂くのがいいんですが」
「あ、うちに生前祖父が使っていた杖があるので、『使ったら』と言うんですが、『まだ大丈夫』って使わないんですよ」
本人のプライドは事態の把握を鈍られてしまう。
母の頑固さはその典型なのかもしれない。
「ただ、もう手遅れかもしれません」
「手遅れ、って?」
「杖も、意外に使い方が難しくて、認知症が進んでしまうとうまくつけないんですよね。使うなら早めに使わないと」
この言葉で、この7月、雨の京都で滑りやすい地面を少しでも回避できるかと、ホテルから貰った傘を杖代わりにさせようと渡したが、けっきょく上手く杖代わりに歩けなかった光景がそのまま蘇った。
手遅れ・・・
2階へエレベーターで上がる。
「2階は重度の認知症の方が多くおられます」
「お風呂もあるんですって」
ディサービスには半日コースと1日コースがあり、
1日コースならば入浴介助までしてくれるという。
母の顔つきが険しくなった。
2階の部屋のフロアでは白板を使って、スタッフさんが車座に座った10名弱の利用者さんと対話しながらクイズのようなことをしていた。
「お風呂は奥です。ご覧になりますか?」
母を見ると自分にはまったく関係ない、と言わんばかりに首を振る。
そのまた奥の部屋には、休憩ようなのか、ベッドが数台。
そして簡単な運動ができるマシンが3台置かれていた。
お礼を言いながら一階へ戻る。
母の無言が続いている。
一階に降り、ケアマネージャーさんが「パンフレット貰ってきますから」と受付横の小さな部屋に通された。
そこには自由にお茶を飲めるサーバーがあった。
母の分と自分、ケアマネージャーさんの分を淹れている私に向かって母の口から言葉が出た。
「まったく、年寄り扱いだわね」
言葉が吐き捨てられた。
いやいやこの前88歳になったんでしょ。
立派な「年寄り」でしょうが。
「もう、お年寄りでしょ」
母の顔は険しい。
「どうする?通ってみる?」
「行かない。必要ない」
きっぱりとした言い方だった。
自分はこの施設に通う必要はない。
その思いが全面に出ていた。
ケアマネージャーさんは母の剣幕に部屋に入れずに、
部屋の入口手前で待っているのが見えた。
そう、これは家族問題なのだ。
「半日でも来れば、食事を作ってくれるんだよ」
「送り迎えもしてくれるんだって」
「必要ない」
「ちゃんと出来てる」
「この辺なら近いから歩いて帰る」とすっかり機嫌を損ねた母をなんとか車に載せ、申し訳なさそうな表情のケアマネージャーさんと施設前で別れたのだった。
(手尾広遠)
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