認知症日記-250/285[2019/2/28-2] 明日は、施設に入居-2
★事実を正確に伝える為には本来ならば総てあからさまに書きたいところであるが、お世話になった介護関係者の方々や近隣の方々の個人情報の問題もあるので固有名詞は架空のものにせざるを得ない箇所があることを最初にお断りしておきます。
2019/2/28 明日から初めてのショートステイへ。
2019/3/1からショートステイに「とりあえず」入居させようと決心し、契約をした。
もちろん、母本人は知らない。
「なんと説明しよう」
「失くしたままの補聴器をどうしよう」
「どうやって当日を迎えるか」
「入居先で拒否したらどうしよう」
「なんと説明しよう」
脳の状態が健常で、単に治療のための入院ならば、普通に説明できる。
しかし、自分が認知症だと認識しておらず、
「自分は一人でちゃんと生活できている」と言い張る母にショートとはいえ、一定期間介護施設に入居させることを、「理屈で」説明し納得させることは困難だった。
答えは見えている。
「そんな必要ない」
日々のヘルパーさんの「配膳」「薬の服用」を日々、拒否するようになっていた。
「あたしの食べたいものを、食べたい時間に食べる」
「あたしの飲みたい時間に、薬はちゃんと飲む」
食べたいもの、と言ってももう調理が出来なくなっていた。
ヘルパーさんと一緒なら作れるのだけれども、
作っても食べるのを忘れ、キッチンに捨てたことが再三。
米も水につけっぱなしで何日も放置。
我々が少しでも、と健康に気遣った野菜、魚には一切手をつけず、
素ラーメン、卵、パン、ジャムなどだけを食べていたようだ。
本人に言っても否定する。
立派に「鍋」「焼きそば」「筑前煮」などを「作って食べた」と答える。
しかし現実では料理名がつけらるメニューが作れなくなっていた。
それからスーパーの惣菜コーナーで買った「揚げ物」のプラケースがたくさんゴミ箱に見えた。
私は午前と夕方、ヘルパーさんが自宅に来てくれる時間が近づくと緊張した。
5分、10分過ぎると、携帯が鳴る。
あ、まただ。
「いま、ご自宅に伺っておりますけれど、『いまは食べない』と仰っておられます。
最初の頃は、電話を代わってもらって私が
「お医者さんの指示だから、今食べて、薬飲まないとダメだよ」
と言うと、従った日もあった。
ヘルパーさんに、
「あなた達もあたしが食べて、薬を飲まないと帰れないのね」
「わかった」
と恩を着せながらも、事態の一部を理解して従ったこともあった。
それが徐々に、私が電話で言っても、ヘルパーさんが
「ご家族の希望です」
「お医者様の指示で」
「区役所の指示で」・・・何でも言ってみてくれと頼んだからこんな無茶な理屈
私はヘルパーさんから毎日「母の介護拒否」の電話を受けるだけではいたたまれなくなった。
ヘルパーさん達は慣れている。
「わたし達の努力が足りなくて申し訳ありません」と常に低姿勢だ。
しかし、自分では自覚していないものの悪いのは母だ。
私の実の母だ。
私はある晩、ヘルパーさんを自宅前で出迎え、挨拶してから、家の庭を通り、庭から母の様子を窓越しに見てやろうとした。
冬になっていたからとても寒かったけれども、
母がどうな風にヘルパーさんを迎え、
ヘルパーさんに何を言っているのか、
その様子をどうしても自分で確かめたかった。
母はヘルパーさんからの介護サービスを拒否するだけではなくて、
ヘルパーさん達に軽く説教めいたことを話していた。
「あなた達には気持ちがない」
完全看護のお手伝いさんかなんかと勘違いしている物言いだった。
介護保険でカバーできる範囲というものを知らないのだから、仕方がなかったとはいえ。
とにかく、我々の目の前にある現実生活と母の脳の中で起こっていることが明らかに相違を生じているからには、
自宅での生活、という当たり前のことを諦めなくてはならなかった。
7月に発症し、年末には施設利用を検討し、契約した。
家族間では合意だ。
本人にどう説明すればいいのだろう。
「何も説明せず、いきなり連れて行くしかないだろう」
私は妻や弟に言った。
補聴器を作った時、
認知症の検査をさせた時、
白内障の検査をさせた時、
いずれも事前に説明をせずに連れて行った。
補聴器を最初に作ったのはもう10年以上前になるだろう。
現在のように認知症を発症していなかった。
それでも事前に「耳が遠いのだから危険。補聴器を作ろう」と説明しても、
「要らない」
と拒絶する。
「これで今までやってきた」
というのが口癖だった。
それでも家族が判断して母の身体に起きていることに対処すべきならば、
本人が拒否してもやらなくてはならない。
まるで親子が逆転している。
ましてや、現在は認知症で自分の現在の状況を理解していない。
いきなり、実家を離れ、他人との共同生活を説明しても理解、納得するはずがなかった。
理解しないことでも、言われれば反発する。
反発されれば、認知症とわかっていても我々もついつい感情的になってしまうこともある。
だから、事前に説明せずにいきなり連れて行ってしまう。
「食事でも行こう」
そんな感じで。
しかし、連れ出せたとしても施設の建物を見たらどういう反応をするのか?
片耳10万円以上する補聴器をこの10年間で2回も亡くした。
それもご丁寧に「片耳ずつ」失くしている。
補聴器をさせていても、会話をしていると聴こえ方が断然によくなったという感じがしない。
補聴器をしていてもしていなくても、我々は大きな声で話さないとならない。
大きな声で話しても、返ってくる返事は
「そうねぇ」
とか。
長い文章が続かない。
長く話すと途中から聞いていない。聞こえていない風だ。
ショートステイに入居させるに当たってどうしよう。
入居にはショートステイといっても
数日分の衣類
靴下
眼鏡ケース
歯ブラシ
歯磨き粉
入れ歯入れ
入れ歯洗浄剤
室内ばきの靴
簡単な衣装ケース
そのほか様々な日常生活品を準備し、
すべてに名前を書かなくてはならない。
事前に旅行に行くというのなら、実家に行き堂々と母の衣類などをバッグに詰めることが出来るけれども、母の見ていないときにすべてのものを準備できるわけもない。
それに、1日や2日のことじゃないのだから、それなりの分量が必要だった。
施設は都内にも候補が2軒あった。
しかしケアマネージャーさんが、
「隣県になりますけれど、こちらのショート施設はメニューがとても良いのでお勧めします」
聞けば、都内の2軒は
食事3食と
週に何回かの入浴以外、
基本的には放って置かれれる。
しかし、この隣県のショート施設は
ほぼ毎朝のラジオ体操、
そして午後に毎日何らかのリハビリ・プログラムが実施されるという
「環境が変われば、認知症が進む可能性が大きいとは言われています」
ケアマネージャーさんが何度か言った。
それでも家族として、ベストではないのかもしれないけれど、
この時点での自宅生活は不可能と判断した。
悪いことばかり起こる。
だから、
とにかくやってみるしかない。
ショートステイに、1ヶ月目処。
状況によってはもう少し長期。
ショートステイに入居させることを決めたにしても、
それに連れて決めなくてはならないこと、
「なんと説明しよう」
「失くしたままの補聴器をどうしよう」
「どうやって当日を迎えるか」
「入居先で拒否したらどうしよう」
それらを相談しなくてはならない。
母の態度いかんでケースバイケースで動くフォーメーションも決めなくてはならない。
我々は年末年始のように前日から泊まり込むことにした。
もしかしたら2度と戻らないかもしれない自宅での最後の晩餐。
そして朝起きて朝食を食べたら一緒に施設まで連れて行くのだ。
しかし、結論が出ない、
「なんと説明しよう」
続きます (手尾広遠)
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