日記,  認知症

認知症日記-13/48 [2018/7/28〜] 前の病院へ行った、アルツハイマー を調べる、思い当たるあれこれ


★事実を正確に伝える為には本来ならば総てあからさまに書きたいところであるが、お世話になった介護関係者の方々や近隣の方々の個人情報の問題もあるので固有名詞は架空のものにせざるを得ない箇所があることを最初にお断りしておきます。


1. 母が通院していた前の病院へ行った

 まさかのアルツハイマー 型認知症という診断が母に下った。
放っておいた我々家族にも責任があるにしても、
10年以上通院していたO病院は内科医だといってもまったく気づかなかったのだろうか?
今さら文句を言っても母の認知症がなくなるわけじゃないが、長年母を診てきた医者と話さないでは気が済まなかった。の
認知症以前に処方されていた9種類の薬についても説明を聞きたかった。
また、認知症治療が主になる為、今後はK病院に通院を変えるという挨拶もしておいたほうがいいだろう。

そう考えた私は一人でO病院へ向かった。
肉親の息子でも話をしてくれるものだろうか。
 大病院でもあるまいし、「個人情報」の壁で会話ができないことはないだろう。

運転しながら何度も思ったのは、
まったく気づかないなんてことがあるんだろうか」という一点だった。
まぁ、最初からそんなファイティングポーズで臨むつもりは無かったけど、
いきなりの発症なんてことはないだろうが、と。

★後から知ったことによれば、認知症は25年も潜伏する、などの説もあるくらいだから、我々家族が毎月会っていても加齢との差が分からなかったくらいだから、専門医でもなければ、ほんの数分の問診でわかるものじゃないのかもしれない。

 実家に車を止め、家には入らずに私の足で3分、O病院に到着した。
(こういう時、母の難聴が有難い。
普通に聞こえていれば、駐車する音で家の中の母に来たことが気づかれただろう。
「何しにきたの?
この頃、しょっちゅう来るわね」
などと聞かれたら、他の件なら問題ないにしても、
「認知症になっちゃったんだから色々やることがあるんだよとは言えないし気が重い)


歩行が遅くなった母の足でも苦痛に感じない距離なんだろう。
我々が住んで育った頃にはなかった新し目の綺麗な建物だ。
「優しそうな先生なのよ」
そう言っていた。
 しかし!
なんと目の前の建物の扉には「休診日」の札が。
なんてことだ。
間が悪い。
 何て言ってやろうか。
 何て言うんだろうか。
意気込んで行ってみると「休診日」かよ。

仕方なく、家に戻り門から入って庭に回る。
玄関を通らず庭へ行けるので、庭から部屋の様子を見る。
母は在宅だ。
それは気がおかしくなるくらいのテレビの大音量でわかる。

これじゃあ、近所迷惑だ。
次に来る時にイヤフォンを買ってこよう。

母はテレビ画面を見ながら楽しそうに笑っていた。
手には続けている縫い物。
布に編み棒が通されている。
テーブルの上にはなんかの食べかけが乗った皿とティーカップ。
またきっと砂糖をじゃぶじゃぶ入れて飲んでるんだろう。

なんだか、今までみたいに気楽に接する気になれなかった。
目の前で楽しそうにテレビを見ている母は認知症なんだ。

 認知症専門医と頼った医師からもたいして有効な話は聞けなかった。
「このお薬を飲んでいただき、様子をみながら処方する量を調整していきます」という説明以外は。

なんか家に入って普通に話せる気がしなかった。
そうだ、薬局へ行ってこよう。

2. 薬剤師さんと話す

7/27Z病院アルツハイマーと診断され、
医療介護相談センターへ行き、
地域包括支援センターに行き、
主治医のK病院へ行き、
その後薬局へ行ったのは閉店間近と時間が遅かったので、
母が「明日、あたしが薬を取りに行くわよ」
「いつもそうしてるんだから」
と言ってた。

年老いた母の話し相手になってくれ、あれこれと心配をしてくれていた薬剤師さんに「認知症と診断された」とだけ話し、携帯番号を教えて帰宅した。
翌日はどうだったのか、電話よりやはり今後のこともあるから直接話してこようと思った。

薬剤師さんはいた。
「翌日、お薬を取りに見えると伺っておりましたけれど、夕方になってもいらっしゃらなかったので、お電話させて頂きました
やっぱり・・・

今まで認知症を疑うような様子はなかったか、と問うたが
「お薬を取りに来られることを忘れるくらいのことはよくあることですしねぇ」
「まぁ、同じお話を何度かされるというのも、お年を取れば珍しくはないですし」
気を遣ってか。はたまた短時間の滞在、会話ではさすがに見極めが本当に難しいのか・・・

今後は通院時に家族が同行するから薬の受取りも家族が行うことを伝えた。
逆に薬剤師さんから何か気になることがあったら、私に電話をしてくれることとなった。
そこまで気を配ってくれるのはありがたい。


見慣れた街で懐かしさいっぱいで見ていても、店も店員さんも様変わりしている。
我々家族も生まれ育った街で、その時間の延長のままに感じていても、実は我々家族自身が馴染んだ人のほうが少なくなっていた。
母がこの何十年、どこの誰と懇意にし、誰を頼っているのか、その全体像を知っているわけじゃないと痛感した。

3. アルツハイマーを調べる

 何度も書いてしつこいが、病院へ連れて行きながらも
「まさか本当に認知症なんてことはないだろう」と認知症を遠い病気だと思っていた。
 それに診断前に調べるのは縁起が悪いような気がしていた。
あえて本もネットも調べなかった。

しかしいよいよ診断されてしまったからには、アルツハイマー 型認知症について知らなくてはならない。

まず認知症には4種類ある。
アルツハイマー型認知症
●前頭側頭型(ピック型)
●レビー小体型
●脳血管性
基本的に脳の病気、血流による病気。

・昼に何を食べたか忘れる・・・・・・健忘症
・昼に「食べたこと」を忘れる・・・・認知症
この短期記憶の欠如が最も典型である。

・同じ話を何度もする
・季節感、味覚などが乱れる
・感情の起伏が激しくなる

・家族の顔がわからなくなる
・徘徊
・汚物をいじる
などテレビなどで紹介される症例はけっこう後期のものらしい。

糖尿病は認知症を誘発しやすい、という記事もあった。

本も何冊かネットで注文。

3. 母が通院していた前の病院へ連絡した

 直接行った日が休診日だったので、翌週になって電話をした。
話すのは早いほうがいいだろうが、そうそう会社を休めるわけでもない。
といいつつ、会社の直接の上司には週明けに事情を話した。
 今後、家族の我々にいろいろとやらないとならないことが山積みのようだった。
長年勤めた会社だから幸いにも有給休暇はふんだんに溜まっていた。

 電話に出た受付の女性に医師と直接話したいという事情をかいつまんで話す。
「いま、先生は診察中ですので手が空いた時に折り返しお電話をさせるということでよろしいでしょうか」
「あ、はい」
電話で名乗っただけで「親子でも個人情報があるのでお話はできません」とも言われなかった。
 大病院なら、さすがに電話一本でこうはいかないんだろうな。

そう長時間待たされることなく電話がきた。
・今月頭、一緒にいた時様子がおかしかった
・認知症専門医を探してK病院に辿り着いた
K病院からZ病院に紹介状を持たされMRI検査をした

会ったこともなく母を長年診てきたO病院O医師は落ち着いた声で、
「はぁ」
「なるほど」
と受け、もっぱらこちらが話す。

Z病院の専門医から「アルツハイマー型認知症」と診断された

「あぁ、やっぱり」
え?
聞き間違いかよ。
やっぱり、ってどういうことだ?
認知症の疑いがあったならば、O医師が検査の紹介状を書けたはずじゃないか!

「え、先生、やっぱりってどういうことですか?」
「あ、いえ。もうご高齢なので。そういうこともあるかと」
「はぁ?先生が診て認知症らしき徴候があったということじゃないんですか?」
「いえ、そういう意味ではなくてですね。
私の方ではずっとお母様には糖尿病の診療を中心に行ってまいりました」
「はい。それは処方薬でわかります。
血糖値が高く、糖尿病の間近ってことは」
「はい、毎回そのことばかりお話ししていました。
私の診察中に認知症かな、というようなことは見受けられませんでした」
まぁ、今さら、そう言うしかないよね。
電話で話した印象だけで感じたのは、悪い先生じゃなさそうだったけれど。


「それでですね、これからは認知症薬の処方が中心になると思いますので、我々が付き添いますし、通院させる病院をK病院に変えなくてはならないと思います」
「はい、それは。そうですね。わざわざご連絡いただき、有難う御座いました」
お礼を言うのはこっちなのに、先生の言葉は最後まで丁寧だった。

5. そういえば、思い当たること

 予想していなかった「認知症」発症を宣告されてから、色々な場面を思い返す。
●春に銀行の通帳カード印鑑を「盗まれた」「泥棒がはいった」と電話をしてきた。
すぐに近くの交番へ自分で通報している。
家に来てくれた刑事さんと電話で話した。
開口一番、刑事さんが
「お母様がこのように仰っておられますが、心当たりはありますか?」
と言った。
「心当たり・・・ご覧のようにいまは同居しておりませんので、毎日一緒にいるわけではありませんから、心当たりはまるでありません」
と答えた。
「近所への聞き込みも含め調べましたが、泥棒が入った明確な跡が発見できませんでした」
と説明された。
最初、「心当たり」は家庭内で不和があって〜というような意味の質問かと思い失礼な刑事だと思ったが、後で考えると、「泥棒ではなく、記憶違い、落としたの間違えでは?ひょっとして認知症」という含みまであった質問だったのかもしれないと思った。
数日後、改めて同じ刑事さんが電話をくれ、
「あの後も見回りを強化し調査しましたが、今回のところは事件化するのは止めておこうという流れです」と言われた。
刑事さんの判断は正しかったのだろう。

●5月には新橋駅で待合せ一緒にゆりかもめでシルク・ド・ソレイユを見に行っている。待合せ場所に約束の時間に来られた。
 この時は公演を見て一緒に食事をした。
 特におかしな言動には気づかなかった。

●「泥棒に入られた」という母の申告が本当なのか、どこかで落としたのかは判然としないが、「銀行で貸金庫を借りて通帳、カード、印鑑、他に大事なものを預けておこう」と提案した。
月に一回以上は何かと銀行に行くのだから、銀行に金庫を借りれば、金を降ろすのも楽だろう。使ったらそのまま貸金庫に戻して帰宅すれば安心でしょ、と。
 母も納得し、銀行に手続きに行き、書類を書いた。
本部の審査かなんかがあって、その後正式な契約書が送付されてくるから、その後正式に借りられることになる、と説明された。
 契約書が送付されてくるはずの頃に、母に電話をした。
「銀行から貸金庫の契約書は送られてきた?」と聞くと、
貸金庫?あぁ、あれ断っておいたわ
はぁ?
「なにそれ。家に置いておいたらまた泥棒に入られるかもって心配だからって、この前わざわざ銀行に行って仮契約したんでしょうが」
「そうだけど・・・まだ今はいいわよ」
「今は、って。もしそうなら、断ったって一言連絡くらいしなよ」
「あら、しなかった?ごめんね」
「わざわざ一緒に行ったのに・・・」

●6月に、買い与えていた「らくらくフォン」の充電ケーブルを挿す部分が壊れてきたからdocomoショップに行ったら、機種が古いので部品交換が出来ない。
店員から新しい機種に買い換えるしかないと言われた、と連絡があった。
 母は歳の割に携帯やビデオの説明書とかを自分で読んで理解しようとする。
わからないことがあれば自分で駅前のdocomoショップへ行き質問して解決していた。
妻の母(義母)は真逆で機械に疎く、なんでも質問してきてはすぐに忘れるタイプだ。
年代によって得手不得手があるがこういうところは助かった)
携帯は私の名義にして通話料も私が支払い、母に持たせていたから、母が勝手に機種変更ができない。
それでは、と好きな寿司でも食べて、その後一緒にドコモショップに行こうと約束した。
約束の時間に約束の場所に来た。
この時も。
それなのに寿司を食べて喜んだ後、docomoショップに入ろうとすると、
何?なんの用なの?」と聞いた。
「何言ってんの?充電が出来なくなったって言ってたから、今日行こうね、って予約までしたんだよ」
「あらそうなの」
けっきょく、外見は前のらくらくフォンとほとんど変わらぬ新機種のらくらくフォンに変更したのだったが・・・

機種変してからメールの回数が減った
聞くと、
「機種が新しくなって使い方が違うから慣れなくて」と言う。
我々が見るに機種番号が変更されていても、外見、構造的にほとんど前の機種と変更がなくて「買い替え甲斐がない」と感じたくらいなのに・・・
「何が分からないの?」と聞いても、
ただ「やり方が分からない」の一点張りで、何に手間取っているのかが理解できない。
 今までなら、自分で取扱説明書を読む、docomoショップに自分で聞きに行く、とかしていたのに今はそれもせず、ただ
「分からない」「分からない」というだけになった。

●以前は家族四人で暮らしていた戸建て一軒家だから母一人では部屋が余る。主に長男である私や妻が寝泊まり出来るように、数年前から実家の二階は我々夫婦が使用するべく畳を張り替え、カーテンを付け替え、私の余っていたステレオを持ち込んだりした。
つまり、簡易的な二世帯の状態にしていた。
しかしそういう概念に乏しい母は、我々が行っていない時に二階の鍵を開けて我々が使う布団を陽に乾し、掃除機をかけたりしてくれていた。
プライバシー無視といえばそうなるが、好意でやってくれていると思えば、無闇に勝手に入るな、とも言えない。
我々が行った時に綺麗な状態に保ってくれているのだから単純に有難いという気持ちの方が優っていたから何も言わなかった。
しかし、正月を過ごすために昨年(2017年)末に行った時、妻が
「なんだか、ここ最近お布団を干してくれたり、掃除機をかけてくれている形跡がないの。もちろん、そんなことやって貰う方がおかしいんだからいいんだけどね」と言っていた。
私だけでは気付かなかったことだ。

●この年末年始のお節料理は妻が一人で作る(その前までは母と妻と一緒に作っていたが、材料も余るし4人分なのだから質素にしようと決め)から、と何度もメールや電話で確認した。
それなのに実家の冷蔵庫にはお節料理、お雑煮、フルーツ、餅などの食材を大量に購入しており、私の財布から出費したこちら持参の食材と丸かぶり。
4人家族なのに8人分以上の食材が揃ってしまった。
「材料はこっちで買うって言ったよね」
「残ったらあたしが一人で食べるわよ」
「賞味期限が早いものとかあるから、ほとんど取っておけないよ」と言い合いをしたのだった。

●実家に行くといつも大音量で(難聴のため)オペラとかクラシックの自分が好きな曲を我々がいつか誕生日プレゼントであげたCDプレイヤーでかけながら掃除機をかけたり食事を作っていた。
「もう少し音下げなよ」
毎回、そういうくらい自分が好きな曲を自分でCDを買ってきて楽しんでいた。その光景が数ヶ月、いつからかは思い出せないけれど見られなくなっていた。CDプレイヤーには布巾がかけられたままになっている。
時に「最近は音楽聴かないの?」と聞くと、
「聴きたいとは思うんだけどねぇ」と最近あまり聴かなくなったことを認めていた

丸現在の、最近あった話をすることがほとんとなく、
「昔はこの辺も田んぼばっかりだった」
「あたし達の女子高時代は女が喫茶店とか外食をするなんて考えられない時代だったから」
「子供のころ何キロも歩いて通学していたから歳のわりに足が丈夫なのよ」
同じシチュエーションで毎回同じ昔話ばかりをするようになった。
それがいったいいつから極端に増えたのか、当然思い出せない。

●20年近く毎夏墓参りで京都へ行くが、去年まで3年連続同じホテルに宿泊したのに、
「初めてのホテルねぇ」とチェックイン時に言った。
「いやいや、去年も一昨年もここだよ」
と説明しても、
「そうかしら、初めてでしょ」と引かなかった。
 毎年のようにホテルを変える時期もあったが、新幹線とパックになるホテルの組合せや価格が毎年けっこう変動するので値段と場所と泊まった心地よさからいくつかのホテルを連続で使ったり、何年かぶりに戻ったりもした。
去年までのホテルは少し場所が不便だったがどうせ移動はタクシーなので、古くからある格式と落ち着きが良くて連続で予約した。
予約するのは我々であって母じゃないのに、
我々の方が勘違いしているとでも言わんばかり、自信満々に、
「初めてよ、ここは」と何度も言っていた。

●性格的に基本的にせっかちで、歳のわりに歩きが速かった。
それがここ一年で動作、歩行が極端に遅くなった

●病院をハシゴし、薬局まで一日がかりの日に
「あー今日は楽しかった」と状況にそぐわない感想を言う。

●一緒に出かけ、家まで送っていくと我々が帰宅するより前に家の留守電かメールでお礼の伝言かメールが来たのに今年の年初くらいからそれが来なくなっていた

●食材は冷凍もの、スーパーの惣菜などは「あたしそういうのは嫌いだから。自分で作るから」と言いながら冷蔵庫には大量にあった

●そもそも、今日話した相手は
「どういう立場、組織の誰なのか」が分かっていなかったのに、明るく元気にペラペラと饒舌に自分の話をし出す。

 いつ頃から症状があったんだろうと、時系列的に順番に思い出そうとするが、直近のことや正月やイベント絡みならなんとか思い出せても、日付までなかなか綺麗に思い出せない。
 すべてが認知症の症状なのか、他の原因からなのか、それはまったく知る由もないけれど、思い出すと次から次へとあれもこれもが思い出され、相当前から似たようなことがあったような気もしてきてしまう。

 とにもかくにも、まったく憂鬱以外のなにものでもない日々が始まってしまった。

(手尾広遠)


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